東北大震災の日3.11がやって来ます。
今日は3月9日(木)、あと2日で東北大震災の日3.11がやって来ます。
今朝、まだ半分夢の中で、頭の中に「震災はまたやって来る、備えよ!」という
言葉が浮かび目が覚めました。
12年前の東北大震災の体験が、誰かの役に立てばと思い書いてみます。
今、あの日に備えておけばよかったものを3つだけあげるとしたら
①2台のスマホ ②電源(ソーラパネル&蓄電池)③車の燃料(ガソリン)です。
この3つは、あの東北大震災後毎日の生活で困ったことだったからです。
もう一つあげるなら④反射式ストーブ です。
東北大震災当時の私の状況
私の場合は、東北の内陸部に住んでいましたので、東北大震災で大きな揺れや停電等は体験しましたが、住宅半壊などの被害はありませんでした。
しかし、実家は沿岸部にあったため全壊し、親戚には何人も死傷者があり、連絡も全くとれなくなりました。
沿岸部までの交通網も遮断し、親戚と連絡がとれたり、実家の全壊を確認できたのは震災から2週間以上過ぎてからのことです。
震災の翌日は、沿岸部の実家へ行く予定でしたので、もし1日ずれていれば私もその渦中におり、どうなっているかわかりませんでした。
大震災後の生活で困ったこと4点
幸い生活に欠かせないインフラの中で、水・ガスは止まりませんでしたし、灯油・ガスカートリッジの備蓄はありましたので、調理や暖房(一部)はなんとかなりましたが、困ったのは下記の4点でした。
①スマホが使えず、連絡が全くとれない。
仕事先や親戚・友人には全く連絡がとれず、どうなっているのか状況が掴めませんでした。
停電のためテレビが見られませんので、震災の状況がどの地域がどのようになっているのか、全くわかりませんでした。
②車の燃料(ガソリン)を確保するのに一苦労。
停電のため市内では信号機が消え、車の往来は混乱していました。闇雲に車で出るのはまずい!と思ったのでそこは自重し、情報収集を優先。
しかし職場への通勤は、往復70kmほどあるため車のガソリンは数日しかもたず、その後はバスと列車を乗り継ぎ片道2時間近くかけ通勤することとなりました。
③食料の確保、生鮮品の購入ができない。
主食の米は備蓄がありましたが、魚・肉・野菜など生鮮食品をスーパーなどで、わずかな数量しか購入できませんでした。
在庫していたレトルト食品もすぐ底をつき、新鮮な食品が欲しいのですが、誰もが同じように困っているので、譲り合いながら数量も控えての購入となりました。
もし避難生活となった場合、何があれば良いのか考えてもいませんでした。
④朝夕の寒さに、ファンヒーター・コタツが使えない。
我が家は築35年を超える木造住宅ですので、暖房は主にファンヒーター、補助に電気こたつ・反射式石油ストーブを併用していました。
停電でファンヒーターと浴室のボイラーが使えず、まだ余震で不安な中、反射式石油ストーブと湯たんぽで暖を取りました。
①~④の困ったことを、その後どう対策したかは次回に・・・